スコヤカ・カロヤカ・ナントカ

ぶつぶつ ひとりごとに おつきあいください (●´ω`●)

母の三回忌  ちょこっと思い出話

兄夫婦・妹とひっそりやるつもりが
なぜか次男坊も飛び入り参加で
にぎやかな母の三回忌でした。
さすが おかーさん 晴オンナ。
雪も降らず 良いお天気でした。
(お寺は激冷えだったけど 💦)


早いもんで 丸2年がたとうとしてる。
・・・ってことは
ワンコが旅立って丸2年ってこと。
(ワンコは 母より2週間前に 死んじゃったからね)
私の暮らしぶりが180度変わった 2年前の2月。


今は のんびり・ぐーたらしてるけど あの頃は ホント 忙しかった。
仕事、ワンコの看病、母をどうするか、家のこと。
あんまり寝てなかったなぁ。
でも 結構へいちゃらだったなぁ。
亡くなった日なんて 夜 看取って
明け方 実家に母を連れて帰って あれこれ段取りをした後
どうしても 日程がずらせない仕事があったんで
1時間だけ寝て 仕事に行ったんだっけ。
(個人事業主は つらい。。。)
すごいぜ、私。
仕事場では ちゃんと笑顔だったもん。
午後からは 実家で お通夜の準備や あれこれ対応。
母のお世話生活で 一番タフな1日だった。
今は もうあんなことは できましぇん。



****ちょっと 母の思い出話をさせてね ****


うちの母は 私とちがって 社交的で 趣味も広くて ユーモアがあって
運動神経よくって 体育会系。
友達が多くて 人の輪の中心にいつもいるような人だった。
なんでもできちゃう人だったから 
眼が見えなくなって 人には何でもないことができなくなってから
すごく僻みぽくなった。
(ただでさえ 認知症が進むと そうなるのに・・・)


プライドが高い人って 年を取ると大変だなぁ 面倒くさいなぁ
(父親もそうだったけど)
だから 私は プライドとか 自慢気とか
そういうのを持たない のん気なばーさんになろうって思っている。


寂しがり屋な母は ひとりが苦手で 
「私がひとり旅にでる」なんていうと
「え?なんで?さみしいじゃない」
とか
「誰か誘えば?」
「友達いないの?」
なーんて 言ってきた。


ははは。
ひとり旅の楽しさを知らずに死んじゃったね、かーさん。
これからのシニアは「ひとりも愉しい~」でなきゃね。


悪口が続いちゃったけど
いいとこも ありました。いっぱい。
おもろい おかーちゃんでした。
ユーモアが通じるっていうか たっぷり。
よく一緒に笑った。


認知症が進んで グループホームに入所するころ
「綾小路きみまろ」のCDをプレゼントされて ハマった。
主治医に 俳句を作ることを勧められ
診察日までに いくつか作ってくる宿題をもらっていた。
季語がないことが多く 俳句っていうより お笑い系・川柳になってたけどね。


思いついた句を 私やホームのスタッフさんが書き留めた。
「句集にして葬式にみんなに配ってやるね」なーんていったけど
あんまり急だったんで 叶わず、今も放置・・・。



ここで 一部披露 笑


◆ 砂利道を 避けて歩く 初詣  (目が悪いから 砂利道は苦手だったね)
◆ 秋深し 胸がつまりて 涙ぐむ (さみしいと すぐメソメソしてたんだね)
◆ ○○さん(父の名前) 23回忌 あの世で待つ
  (父の23回忌は コロナのせいで 母はホームから外出できなかった。)
 ・・・最後の頃は すごく父を恋しがってた。そんなに仲の良い夫婦でなかったのに。
 夫婦って 不思議だなーって思った。 
 (年を取る…っていうか ボケるってこういうことか?って思う)


笑える句も多くて
◆ ばあさんは ぼけちゃいかんよ 句をつくる
◆ 歯がういて 頭ぼけて あの世行き
(一時 最後に「あの世行き」ってつけるのがブームだった 笑)


お金のない時期 
頑張って働いて 子育てして 孫を可愛がって
愛情たっぷりの 母でした。