スコヤカ・カロヤカ・ナントカ

ぶつぶつ ひとりごとに おつきあいください (●´ω`●)

ヨメ活と 父のこと

ベジオも兄貴も 60過ぎた
段々 亡くなった父の年に近づいてくる
なんか いやなの わたし


まだ 2人とも元気なおじさんだし 仕事も現役
兄貴なんかは 若い頃から続いてるライフワークがあるし
ひとり旅やなんやかやと 愉しくしてるけど


うちのおじちゃん・ベジオは いつもゴロゴロ
(私と和解した今は) 
家が とーーーっても 居心地がいいらしい
町内を散歩して ゆっくり過ごす
ご飯食べて 昼寝して 
これがシアワセ いいっていう


まぁ 本人がそれでいいっていうなら いいんだけど
(ベジオ父も そんな人だった)
私は どこか 心配


****


私の父は 仕事や自分の肩書が大好きな人で
60退職、再雇用を経て 完全リタイアってなった頃
病気のせいで 好きなことを制限されるようになっちゃった
お酒も増えて わがままになって 怒りっぽくなった
あの頃は そういう症状が 老人性鬱とか あまり世間で知られてなかったら
父の性格が悪い!って 私は怒ってた


持病があるのに 大酒飲みで ヘビースモーカーだった父
私たちがうるさく言うんで
病状を誤魔化して 病院もこっそり通ってたようだった
(タバコも酒も絶対あかんかったのに)
人生愉しくなくなっちゃったから?
薬も飲まなくなってたみたい(亡くなった後から あれこれ わかった)
結局 そういう精神状態が 父の寿命を早めてしまったと思う
外では 大きいことをいうくせに
本当は寂しがりやで 気が小さい人だった


亡くなるちょっと前のこと


父のわがままぶりに怒れちゃって
私 父とケンカをしてたの
そのあと 父から電話があったんだけど
私 居留守使っちゃった。
電話に出たベジオに「naruは 買い物に出ちゃってます」って言ってもらった


それが 父との最期
今でも思い出すと 泣ける


葬儀の準備でばたばたしてたら 紙袋が出てきて
どこかにいったお土産(うどん)が入ってた
包みに 「naru いつもありがとうね」って書いてあった
怒ってばかりの私だったのに
3兄妹の中で 私だけおとうさんっ子だったのに
息子らを 可愛がってくれたのに
ほんと 私は 親不孝な バカヤロウ娘なのだ


母の世話や介護 がんばったのは 父にした親不孝のせい
父にしてあげなれなかった分を 母にしてあげるって決めたから
(でも 結局 母にもキツイことを言ってしまってた)


多趣味で友達の多い母と違って
プライド高くて なかなか地域のオジサン仲間の中には溶け込めなかった父
男のヒトが 仕事を退職して 悠々自適、愉しく第2の人生を歩むって
みんながみんな 簡単じゃないんだなって 思った
ベジオと父はタイプがちがう
だから 心配なんかしなくていいって思うんだけど
でも やっぱり ベジオには 完全リタイアの後
愉しいジジイになってほしいって思う。
ベジオのため?・・・ちがうな 私のためかな
なんか 罪滅ぼし?
あと 自分も 愉しいばーさんでいたいからかな


ってなわけで 最近 私は


ベジオが関心のあるイベントがあれば 連れ出す!
(ひとりじゃ 結局めんどくさくなって行かないおじさん)
週末の買い物も ある種おでかけ


時々 外食に誘う ベジオの喜ぶ店をリサーチもする
(ベジオは 外食が愉しいらしいけど ひとりじゃしない!)


あれこれ お喋りをする
(ただし ベジオがお酒を飲んでいない時限定)


あらま 私 よいヨメだね(自分でいうか)
あ これ「ヨメ活」かな
いばりん坊な私だから 「ヨメ勝つ」ともいう・・・笑


あれこれあった夫婦だけど
自分のためにも よき家族として。。。
もう 死んじゃってから 
あーだったこーだったって後悔するのは 嫌だしね~


****


4月は 父の命日の月
最後の父とのいい思い出は
父と息子と一緒に
桜が咲いてる公園に行った日
散った花びらが風に舞ってて 父が笑って息子を抱っこしてた
なんか 桜が散る頃は ちょっとさみしいかな


****


ダイスキな 大橋トリオ
沁みる1曲 毎日聞いて 毎回しみじみ 



大橋トリオ「はじまりの唄」歌詞付き


♬ 涙 涙 押し寄せないで もう笑っていきていたいから ♬