スコヤカ・カロヤカ・ナントカ

ぶつぶつ ひとりごとに おつきあいください (●´ω`●)

「ひとり ふらふら旅」のはじまり

母の目が見えにくくなり 少し認知症を疑うようになった頃。
うちの夫婦は 最悪だった。
いつ「離婚」ってなっても困らないように
仕事をいくつも掛け持ちしてた。
オットベジオも 当時イヤなヤツで (まじで)
私が遊びに出る時 ワンコのお守りも頼みにくかった。
私も相当イヤなヨメになっていて 親の介護をいいことに
最低限の家事だけをして ベジオには超無関心だった。


次男の大学入学が決まり アパートを決めたり引っ越ししたりは
私の都合のいいお出かけの口実になった。
さすがに息子のことだから ワンコのお守りも頼みやすかった。


次男の引っ越し。1泊2日の旅行気分。日常からの脱出だ。
そりゃ ばたばたするけど 楽しいですわな。
2日目の午前中。
(パニックになった)母から電話がきた。
義理兄(母の姉の旦那)が亡くなった、
かけつけてあげたいから すぐに来てくれ。
と。(母はひとりでは電車に乗れない)


え~!!


「今 神奈川にいるんだけど」って言ったけれど
なんでもいいで 帰ってきてくれーという。
世話になった姉夫婦だから そばにいてあげたい、っていう。


はぁ・・・。
せっかくの脱出が。


結局 戻ることにした。
「小田原駅」まで来た時 母から再び電話。
お通夜の日が決まったから それまでは行かなくてもよくなった。
だから あんたも帰ってこなくていいよ。


ですと。


なんじゃそりゃ。
がっくりというか 怒れるというか。
プンスコしていしていたら 乗るはずの「ひかり」が行ってしまった。
次の新幹線 2時間後。
どうしよう、って思った時、ふと小田原の観光ポスターが目に留まった。
そうだ、小田原といえば小田原城だ。
どうやら歩いて行ける距離だ。
迷わず行けるか?(当時 私はガラケー。Googlemapもなし)


あの頃の私は 閉塞感でガッチガチの臆病なヤツで
知らない街を「ひとりで」ふらふら歩くなんて考えられなかった。(えー年こいて)
お茶飲んでても 時間はつぶせる。
でも 2時間も?
ちょっとだけ 通りにでてみるだけでもいいじゃん。


あれこれ考えて とりあえず、小田原城への出口へ歩いてみた。
饅頭が売っていた。
蒲鉾が売っていた。
なんだか楽しい~。
標識が「小田原城まで ちょっと歩くだけだよ~」と私を誘ってくれた。


よし、早歩きなら 次の新幹線までに戻れる!
そう思って ドキドキしながら歩いて行った。
あぁ ここがよくドラマで観る「小田原城」かー。
感動した。
小田原城に感動したし、ひとりふらりと観光できた自分の勇気にも感動した。
「あー。やれるぞ!行けるぞ!」って。
(えー年した40代のおばちゃんでしたが^^;)
ざざざーっと歩いて回って 無事新幹線の時間に戻り 家に帰った。


っていうのが 私のひとりふらふら旅のはじまりの話。
旅というより ほんの2時間弱の寄り道でした。  笑


あれから 
介護・仕事・ワンコの体調・「ベジオの仕事と機嫌」のタイミングをみて
ふらふらっと出かけるようになった。
いろんな旅を妄想をして スポッとはまるタイミングで出かける。
一番遠くにいったのは 弾丸台湾(台南)1泊2日!
↑ここは以前旅友と行ったからハードル意外に低かった。
一番体力使ったのは 次男のアパートまで ドライブ旅行。
帰りは不要な荷物を 後部座席いっぱい運ばされた💦(引っ越しトラック)
運転しながら見える富士山には感動した。
ガラケーの時は 夜の京都で迷子になったこともある。
妻籠から馬籠まで峠歩きをして 2回もおっさん(爺)にナンパ(?)されたのも思い出だ。


こんな風に書くと なんだか「ひとり旅慣れ」してるようだけど
今でも旅行前は楽しみと心配がぐちゃぐちゃになって
大抵 腹をこわす。
「暮らすように旅をする」とか
「軽い荷物で ふらっと旅する」なんて 憧れるけど まだまだ遠い。


今は介護も仕事もワンコのお世話もなくなった。
ベジオもそこそこ理解のあるいい人に戻った。(私もね^^)
スマホ(+充電器)とクレジットカード、車ならETCカードがあれば 
どこへでも気軽に行けちゃうんのだ。便利な世の中。
オミクロンもコロナも 早く消え去ってもらいたいね~。
そこが一番の壁だ。


(お金は少しだけある。うふふ。離婚に備えてコツコツ貯めた貯金が。せっかくだから自分のために使う)